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7.地震の夜…自宅の状況

長い時間歩いて・・・やっと自宅に帰って来ました。
自宅も、周りの家々も停電で真っ暗です。

暗い中、自宅(一戸建)の外観をひと周り見て見ましたが、特に大
きな被害も無さそうで一安心。



家に入ると、リビングのコタツに小さなロウソクを1本灯し、火を
囲む様に家族が縮こまる様に座っていました・・・。

自分の帰りに気付くと、皆自分に駆け寄り、地震発生時から現在迄
の経過を一生懸命話します。

停電でテレビも見れず、暇な事もあるでしょうが(汗)
一応・・・父親が帰宅し家族全員揃ったので、安堵した事もあるでしょ
う。



妻は、地震後すぐにパート先から退社し、車で娘を迎えに小学校へ直
行したとの事。

小学校では、地震後すぐに校庭へ避難し待機。迎えに来た親に引き渡
して下校となりました。災害発生時は、基本的に親が迎えに行く事に
なっていました。

高校生の息子は、地震後すぐに下校措置が取られ、ただ公共交通機関
が全てストップしたので、学校のバスで主要コースを回って送り届け
た様です。

家族全員、怪我も無く無事で一安心でした。。。



その後、真っ暗な中を懐中電灯で照らしながら、家の中の状況を一通
り確認。

建物自体に被害は無い様でした。家具や電化製品は、仏壇が派手に落
下し、寝室のテレビ(ブラウン管)が吹っ飛んでました・・・。それ以外
は大丈夫でした。

一番倒れやすいであろう茶箪笥は、天井との間に耐震つっかえ棒を付
けていた為か無事でした。その他のタンス類は、足元に新聞紙を厚め
に折ったものを挟めていた為か無事でした。冷蔵庫はその重さからか
動いた形跡は無く、電子レンジは滑り止めシートの上に乗せていた事
が幸いして無事。液晶テレビは耐震ロープ?の装着で無事でした。

想像以上に、耐震アイテムが有効だった様でビックリしました。
逆に、何もしていなかった仏壇は、重いのに見事にひっくり返ってい
ました・・・。


家具やクローゼットの扉は勝手に開き、収納物が全て落下していまし
た。逆に閉まったままでも、中ではモノが崩れているので、それが引
っ掛かって扉を開けれないという・・・もっと悪い事になっていました。

もう、家中にモノが散らばり、足の踏み場も無い様な感じ。

家族皆が、その酷い状況と疲労で片付ける気力はまだ起きない感じで
した。



停電で当然ながら電化製品は全て使えず照明も付きません。

ガスは、危ないので試す事も無く、元栓を締めました。

水道は、蛇口を捻ると水圧はありませんが少し水が出て来ました。
これ幸い、トイレは何とか使えますし助かりました。一応お風呂に水
を貯めておきます。



以前に実家から貰った、災害用の太いロウソクを出して点火。携帯ラ
ジオを探し出して聞き始めました。

地震後、都市機能はストップしている状況。想像を越える大きな津波
が襲い沿岸部は壊滅的な被害が出ている事。被害が広範囲で甚大すぎ
て、入ってくる情報はまだ断片的でした。

しかし、仙台空港が水没、気仙沼市街で大火災、南三陸町の中心部が
全滅、仙台の荒浜に数百人の死体が流れ着いている等々、信じられな
い様な凄まじい内容のニュースが続きました・・・。


そんな状況で家族皆食欲はあまり無く、調理できない事もありますが、
とりあえず菓子を食べて食事代わりとしました・・・。

窓から外を見ると、眼下にいつも光っている夜景は無く真っ暗で、そ
のせいか綺麗な星空が広がっていました。そんな中、七ヶ浜にある石
油コンビナート火災の大きな炎だけが、何キロも離れているのにハッ
キリと見えました。



真っ暗で何も出来ませんし~寒いので、いつもよりだいぶ早いですが
寝る事にします。

余震が頻繁に起きていましたので(震度3とか当たり前な感じ)、い
ざという時逃げやすい様に、リビングに布団を並べて家族全員で寝ま
す。でも余震でなかなか眠れません・・・。

本震が、弱い地震から始まって強くなっていったので、弱い余震でも
「また強くなるのでは」という不安が強かったのです。



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2014/01/22 東日本大震災◇体験記 トラックバック:0 コメント:0


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