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2014年3月11日 あの日から3年です・・・

2011年3月11日(金)東日本大震災。
あれから3年経ちました。

道路の段差は無くなり、ブルーシートで覆われた屋根も無くなり、
ビルを覆っていたネットも無くなり、内陸で暮らす分には震災後を
意識する様な事は少なくなりました。


しかし、今でも約26万7千人の方が、全国1200の市町村に散
らばって避難生活を続けています(復興庁H26.2.13現在)。

死者15,884名、行方不明者はまだ2,636名もいらっしゃいます
(警察庁H26.3.8現在)。

亡くなった方々も三回忌を迎えます・・・。



被災地に立ち並ぶ、約5万3千戸の応急仮設住宅にも沢山の方が避
難生活を続けています。

見た目は立派に見えますが所詮はプレハブ。夏は暑く冬は寒く、隣
の生活音がまる聞こえで、気を遣う生活が続きます。もう3年です。


家を、車を、思い出の品々を、全財産を、学校を、職場を、収入源を
、あるいは家族や友人までも。。。

1日で失った被災者は、これまでの借金は非情に残り、いちから生活
基盤を積み上げなければなりません。働き口を見つけて、また借金を
して住処を得て。この途方もない再建に不安を募らせています。これ
らを皆が成し得ない限り、復興は実感できないでしょう。


3年目南三陸町1

瓦礫はすっかり片付きましたが、その後土地は放棄状態で、一面雑草
が生えてきました。自然に還っていっている様です。
この様に、何もない草原は津波に全て流された風景です。


3年目陸前高田市1

平地をかさ上げすると決めた陸前高田は、工事車両が大量に走り回り、
古墳の様な土の塊があらゆる所に出現し、平地全体が工事現場の様相
で、埃っぽいです。


全国の方々の応援を得て、復興に向けた工事は始まりましたが、災害
公営住宅は、まだ計画の5%も完成していません。
土地の確保・造成から始まる訳ですから、そう簡単には進みません。

これも、東京オリンピック開催に向けた、首都圏の建設ラッシュの予
兆で、春から来れないかも・・・という反応が出始めているのだとか。
復興が、平和の祭典オリンピックに足を引っ張られる事が現実味を帯
びて来ました。


事業の増大により、労働力や資材が不足し、警備員が確保できない、
リース屋から機材が借りれない、下請けの業者が見つからない、入札
が何度も流れた等、といった話を良く聞きます。

復興事業は遅れ、金額の高騰が自力再建をも阻んでいます。


地元では、今でも地元局TVや地元紙で毎日震災に関わるニュースが
報道されています。

たった3年では、あの大災害から立ち直る事はできません。

東日本大震災は、まだまだ現在進行形だと思います。


ご参考> 復興庁 公式サイト


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2014/03/10 東日本大震災◇体験記 トラックバック:0 コメント:0

7.地震の夜…自宅の状況

長い時間歩いて・・・やっと自宅に帰って来ました。
自宅も、周りの家々も停電で真っ暗です。

暗い中、自宅(一戸建)の外観をひと周り見て見ましたが、特に大
きな被害も無さそうで一安心。



家に入ると、リビングのコタツに小さなロウソクを1本灯し、火を
囲む様に家族が縮こまる様に座っていました・・・。

自分の帰りに気付くと、皆自分に駆け寄り、地震発生時から現在迄
の経過を一生懸命話します。

停電でテレビも見れず、暇な事もあるでしょうが(汗)
一応・・・父親が帰宅し家族全員揃ったので、安堵した事もあるでしょ
う。



妻は、地震後すぐにパート先から退社し、車で娘を迎えに小学校へ直
行したとの事。

小学校では、地震後すぐに校庭へ避難し待機。迎えに来た親に引き渡
して下校となりました。災害発生時は、基本的に親が迎えに行く事に
なっていました。

高校生の息子は、地震後すぐに下校措置が取られ、ただ公共交通機関
が全てストップしたので、学校のバスで主要コースを回って送り届け
た様です。

家族全員、怪我も無く無事で一安心でした。。。



その後、真っ暗な中を懐中電灯で照らしながら、家の中の状況を一通
り確認。

建物自体に被害は無い様でした。家具や電化製品は、仏壇が派手に落
下し、寝室のテレビ(ブラウン管)が吹っ飛んでました・・・。それ以外
は大丈夫でした。

一番倒れやすいであろう茶箪笥は、天井との間に耐震つっかえ棒を付
けていた為か無事でした。その他のタンス類は、足元に新聞紙を厚め
に折ったものを挟めていた為か無事でした。冷蔵庫はその重さからか
動いた形跡は無く、電子レンジは滑り止めシートの上に乗せていた事
が幸いして無事。液晶テレビは耐震ロープ?の装着で無事でした。

想像以上に、耐震アイテムが有効だった様でビックリしました。
逆に、何もしていなかった仏壇は、重いのに見事にひっくり返ってい
ました・・・。


家具やクローゼットの扉は勝手に開き、収納物が全て落下していまし
た。逆に閉まったままでも、中ではモノが崩れているので、それが引
っ掛かって扉を開けれないという・・・もっと悪い事になっていました。

もう、家中にモノが散らばり、足の踏み場も無い様な感じ。

家族皆が、その酷い状況と疲労で片付ける気力はまだ起きない感じで
した。



停電で当然ながら電化製品は全て使えず照明も付きません。

ガスは、危ないので試す事も無く、元栓を締めました。

水道は、蛇口を捻ると水圧はありませんが少し水が出て来ました。
これ幸い、トイレは何とか使えますし助かりました。一応お風呂に水
を貯めておきます。



以前に実家から貰った、災害用の太いロウソクを出して点火。携帯ラ
ジオを探し出して聞き始めました。

地震後、都市機能はストップしている状況。想像を越える大きな津波
が襲い沿岸部は壊滅的な被害が出ている事。被害が広範囲で甚大すぎ
て、入ってくる情報はまだ断片的でした。

しかし、仙台空港が水没、気仙沼市街で大火災、南三陸町の中心部が
全滅、仙台の荒浜に数百人の死体が流れ着いている等々、信じられな
い様な凄まじい内容のニュースが続きました・・・。


そんな状況で家族皆食欲はあまり無く、調理できない事もありますが、
とりあえず菓子を食べて食事代わりとしました・・・。

窓から外を見ると、眼下にいつも光っている夜景は無く真っ暗で、そ
のせいか綺麗な星空が広がっていました。そんな中、七ヶ浜にある石
油コンビナート火災の大きな炎だけが、何キロも離れているのにハッ
キリと見えました。



真っ暗で何も出来ませんし~寒いので、いつもよりだいぶ早いですが
寝る事にします。

余震が頻繁に起きていましたので(震度3とか当たり前な感じ)、い
ざという時逃げやすい様に、リビングに布団を並べて家族全員で寝ま
す。でも余震でなかなか眠れません・・・。

本震が、弱い地震から始まって強くなっていったので、弱い余震でも
「また強くなるのでは」という不安が強かったのです。



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2014/01/22 東日本大震災◇体験記 トラックバック:0 コメント:0

6.地震の夜…徒歩で帰宅する…住宅地編

徒歩で家を目指して約1時間。
市街地を抜けて、次第に住宅街へと進んで行きます。

普段あまり歩かないので、1時間も歩くとだいぶ疲れて来ます。
でも、店も開いていませんし自販機も電気が入っていないので、飲
み物を買う事すらできません。



ずっと暗闇の街が続き、車のヘッドライトの光りだけが頼りです。
その車も、郊外へ進むごとに交通量が減り、真っ暗な中を歩く状況
が増えてきます。

真っ暗だと、向かいから歩いて来る人さえ見えず、まったく気付か
ない程です。
電気が無いと、こんなに暗いものかと驚きました。

こういう時の為に、100円ショップで買っておいた小さなLED
ペンライトが、以外にも使えました。
暗闇では、ペンライトでも足元を明るく照らしてくれます。


体験記6 住宅街道路陥没
【画像】破壊された住宅街のバス通り (携帯で撮影)。

 帰宅の途中、住宅街のバス通りで撮影。暗くて分りずらいかも知れません><
 アスファルトやマンホールが大きく波打つ様に浮き上がり、また陥没しています…。
 それを避けて車がゆっくり通過します。
 大きな段差が出来て、通行止めとなった箇所もありました。




駐車場や家の車庫では、エンジンの掛かった車が多くいました。
余震を警戒し、車で過ごしている人が多くいる様でした。

車のエンジンを掛ければ、暖房は付きますし、ラジオを聴く事がで
きます。
ナビがあれば、テレビを見て情報を収集できます。
ライフラインが止まった時、車は極上の避難場所となります。
ただし、ガソリンがあれば…の話ですが…。



コンビニでは、店は閉まっていますが、店先の公衆電話には長い行
列ができていました。
皆、外部と連絡を取るべく必死です。
(公衆電話は、通信規制下でも通じやすいと言われています。)



道路のアスファルトが、大きく浮き上がったり陥没したり段差が出
来ているところがありました。
暗くて分らないだけかも知れませんが、初めて見た地震による大き
な被害でした。

道路の細かい被害が出ている所も多く見掛ける様になり、通行止め
となっている箇所もありました。
細かい被害箇所にも全てパイロンや注意看板が立てられ、素早い道
路パトロールに驚きました。



帰宅途中、スーパー(もちろん閉店している)の駐車場で、軽トラ
ックの焼き鳥屋が営業していました。
インフラが無くても独自に営業できる、移動販売車だからできるの
でしょう。

店が全て閉まっているので、貴重な温かい食べ物を買うべく、行列
ができていました。
自分も買いたかったのですが、歩きっぱなしで疲れており、並ぶ体
力も気力もありませんでした><



途中、近所の中学校に寄ってみました。災害避難場所になっている
学校です。

体育館には、小さな発電機で数個の裸電球のみが光る薄暗い空間の
中、びっちり人々が避難し座っていました…
人が多すぎて横になるスペースなどありません…
息苦しささえ感じました。

救援物資や情報等があるのでは?とちょっと期待しましたが、その
様なものが提供される雰囲気は無く、すぐに体育館を出ました。



気付くと、夕方に強い雪を降らせた雲は無く、快晴となっていまし
た。
高原にいるかの様に、星が沢山。。。すごく綺麗に見えました。
停電で街の光が無くなったため、夜空が綺麗に見える事に、いつも
と違う事に改めて気付かされました。

とにかく、この日の夜空は印象的でした。。。一生忘れないでしょ
う。。。



こうして、色々回り道をしながらですが、約3時間歩き自宅に到着
したのでした。


~~~


普段バスで通勤している事もあり、帰宅する道に迷う事はありませ
んでした。

しかし東京首都圏などでは、普段電車を使っていると、途中の道な
んて分らない方も多いのではないでしょうか?

道が分らなければ、交通機関がストップしても徒歩で帰宅するのも
難しいのではないでしょうか?
(3月11日地震発生後は、首都圏でも実際に鉄道が全て運休し、
帰宅難民が多数発生しました)。

この様な事態を想定し、ポケット版の地図をカバンに入れておいた
方が良いかも知れません。

※災害時は携帯やスマートフォンでマップを見ようとしても、ネッ
 トサービスは利用できるとは限りません…。
 書店には、災害用のポケット地図等も販売されています。



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2013/05/06 東日本大震災◇体験記 トラックバック:0 コメント:0


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